お役立ちQ&A集(法要等)

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お墓や葬儀、法要に関するQ&A

しきたり
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服装
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香典
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作法
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参列
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喪主
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ご葬儀後
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お墓
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ご仏壇
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法要・その他
法要等

烏野石材では皆様のご相談・ご質問に可能な限りおこたえし、お役に立つ努力をいたしております。

忌日と法事について教えてください
仏式では、亡くなった日から、七日目ごとを忌日とし、初七日と忌明け法要(四十九日、または三十五日)を、特に念入りにします。四十九日までは忌中なので、神社、公の席、祝いの席などは遠慮します。
翌年の祥月命日には一周忌の法事を行い、その翌年は、亡くなってから三年目にあたるので三回忌、以後は七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌まで行い、その後は五十回忌、百回忌というように五十年ごとに行われます。
亡くなってはじめてのお盆を新盆と言い、七月十三日(八月十三日)の夕べに迎え火を、十六日には送り火をたきます。白いちょうちんを飾るのが新盆のしきたりです。

神式では、百日目まで十日目ごとに斉日(ときび)があります。すなわち十日祭、三十日祭、五十日祭、百日祭、一年祭、三年祭、五年祭、十年祭、二十年祭など十年ごとに百年祭までつづきます。五十年祭の翌日、清祓(きよはらい)祭で忌明けです。

キリスト教式は、プロテスタントでは一ヶ月目に記念式を行います。カトリックでは三日目、七日目、三十日目に教会で追悼ミサを行います。その後は毎年昇天の日に行います。
忌引きについて教えてください
忌引きは官公庁の場合、配偶者(十日)、血族である父母・養父母(七日)、子・養子(五日)、祖父母・兄弟姉妹(三日)、孫・おじ・おば(一日)、姻族である配偶者の父母(三日)、配偶者の祖父母と兄弟姉妹(一日)となっています。

一般企業・商店などで社則(就業規則)がある場合には、これに記載されていることが一般的です。
忌み言葉ってどんなものですか?
世間では、「お悔みの挨拶や手紙には"忌み言葉"を使わないように気をつけよ」といいます。この"忌み言葉"とはどんなものかといえば、たとえば・・・、

・返す返す・重ね重ね
・重ねて・ふたたび
・いま一度・またまた

というような"重ね言葉"であり、不吉な連想を呼び起こすために使わないようにしたいところです。
清めの塩と水って?
喪家の場合は、火葬場から帰る人たちに塩や水などを用意しますが、喪家でなくとも家族の者が葬儀に出席して帰った場合は、家の者が水と塩を用意して、家に入らぬうちに塩をパッパッと軽く振りかけ、当人は口をすすぎ、手を清めてから家に入ります。
中陰の法事はどのようにして行えばよいのでしょうか?
仏教では、人の死後七日目から四十九日までを「中陰」=ちゅういん=(「中有」ともいう)といい、人は死んでからこの期間に、次の生に生まれ変わるものとされています。
それで、家族が亡くなると遺族などで、幸福な次の生に生まれ変わることができるようにという願いをこめて、その四十九日のあいだは、ひたすら冥福(死後の幸福)を祈って読経をするという風習が生じ、とくに、七日目ごとに初七日(しょなぬか)、二七日(ふたなぬか)、三七日(みなぬか)、四七日(よなぬか)、五七日(いつなぬか)、六七日(むなぬか)、七七日(ななぬか)と呼んで、僧侶に読経してもらったりお寺参りをしたりするしきたりがあります。

とくに七七日(四十九日)は、「満中陰」(まんちゅういん)といい、これで、"忌日"が終わったという意味で、近親などを招いて法要(法事、法会)をいとなんだあと、"忌明け"の宴を催したり、香典や供物などを供えてくれた人たちへ、忌明けの挨拶状とともに、"香典返し"を送ったりします。
なお、"忌明け"は、五七日(三十五日)に切り上げて行なってもよいことになっています。
四十九日には何か特別な意味があるのですか?
仏教では、死後49日間(35日間という宗派もあります)は中陰(この世とあの世の中間の世界)を漂っているとされています。この期間を忌中とし、7日ごとに7回法要が営まれるため、すなわち7日×7回=49日となるわけです。この間、遺族は結婚式などのお祝い事への出席を避けます。亡くなった日を含めて7日目に行なわれるのが「初七日法要」ですが、現在では、ご葬儀当日に遺骨が戻ってきたところで行なうことが多くなっています。
また、命日から49日目にあたる忌中の最後の日を満中陰といい、この日で忌明けとなります。僧侶をはじめ親族や故人と親しかった人を招いて盛大に法要を営み、その後に納骨を行なうのが一般的です。
四十九日の法要にはどんな装いがよいのでしょう?
四十九日法要は葬儀に準じるとされ、正喪服を着用します。女性の場合の正喪服(正装)は、和服ならば5つ紋付きの黒無地に黒の帯、洋装ならば黒無地のワンピースやツーピース(ブラックフォーマル)です。
一 周忌、三回忌と回を重ねるにしたがって、喪の表現は少なくしていくのが一般的です 。和装、洋装のどちらを着用するかについてはとくに決まりはありませんが、参会者より軽い服装はしないことが大切です。
法要の服装
忌明け法要などでは、喪服に近いものを着ますが、一周忌、三回忌と回を重ねるにしたがい、喪の表現を少なくしていきます。一般的には地味な平服で差し支えありません。男性はダークスーツにネクタイ、靴下も派手なものでなければ、黒にそろえる必要はありません。女性は、色無地の着物に黒帯か、洋装なら地味なワンピースやスーツなどでよいでしょう。アクセサリーは目立たないものにします。なお、三回忌くらいまでは略式喪服を着るようにするのが無難でしょう。
年忌法要は何回忌まで行なうものですか?
故人が亡くなった次の年の命日に一周忌を行ない、その翌年に三回忌(一周忌以降は死去した年も入れて数えます)、その後、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌、百回忌と続きますが、だいたい三十三回忌(年忌明け)までで終えることが多いようです。
喪中に年賀状をいただいた場合は?
喪中に年賀状をいただいた場合には、松の内(元日〜1月7日)がすぎてから喪中を知らせるはがきを出します。そこで年賀状をさし控えたこと、通知が遅れたことのおわびの言葉などを添えましょう。
法要に招かれたときに持っていくものは?
菓子や果物、花、線香などの供物を持参するのが慣例となっていましたが、すでに用意されている場合が多いので、最近では現金を包むことが多いようです。その場合、表書きは仏式なら「御供物料」「御仏前」「御香料」などとします。
忌中のお宅にお中元やお歳暮を贈るのは?
お中元やお歳暮はお祝いではありませんので、贈ることについてはかまいません。ただし、贈る時期が四十九日以内の場合には、少し期日をずらしたほうがよいでしょう。お歳暮などで四十九日以内になってしまうときは、松の内が過ぎてから「寒中見舞」として贈るようにします。水引は紅白を避けて、白の奉書紙だけをかけて表書きをします。また、贈る側に不幸があった場合も同じことです。
教宗派について
伝教大師(最澄)天台宗
生涯の大部分を比叡山で過した。1200年の法燈を燃やし続けている本山で厳しい修行をつみ最澄の時代を築いた。12歳で出家し19歳で東大寺で正式な具足戒をうけて一人前の僧になった。そして中国の唐に渡り、中国天台宗の一大拠点天台山で仏隴寺の行満から天台法華の法門をうけ日本の天台宗の開祖となりました。

弘法大師(空海)真言宗
真言宗の開祖空海、弘法井戸や弘法清水がもっとも有名。渇水にくるしむ村を通りかかった旅の僧が 手に持った錫杖で地面を突くとこんこんと泉が湧いた。こうした伝説によって、空海はお大師さんとよばれ身近な信仰の対象となった。四国八十八カ所巡礼も空海は開いた霊場巡りであり、讃岐の善通寺市で生まれました。

法然上人(浄土宗)
浄土宗は承安五年(1175)開かれました。浄土三部経を所依とし、法然を宗祖とする。自力教を排斥して、阿弥陀の大願業力によって成就された浄土を理想とし、弥陀の広大な悲願に一身を託して念仏することによって、極楽浄土に従生するを目的とする浄土門のことを教えています。

親鸞聖人(浄土真宗)
彼の開いた浄土真宗は、日本最大の教団である。信徒は1,300万人といわれる。承安三年に(1173)生る。5歳の時から29歳まで20年間比叡山で修行。建二元年(1201)法然の門にはいり旧仏教による念仏教団弾圧に連座した越後へ配流となり、建長二年(1262)11月28日なくなる。

禅宗
釈迦が迦葉に伝えたのに始まり、迦葉二十八世の法嗣達磨が中国に伝えたのに始まり、、その始祖となった。後、南岳の門葉は臨済を、青原の門葉は曹洞宗を開いた。六条天皇の仁安三年、建仁寺の栄西入宋して臨済宗を伝え、後堀河天皇の貞応二年、道元入宋して曹洞宗を伝え、後光明天皇の承応三年、明の隠元来朝して黄檗宗を開きました。

日連聖人(日連宗)
漁夫の子として生る。16歳で出家し建長五年(1253)日連宗を開く文応元年(1260)立正安国論をあらわして幕府に献ず。幕府にを批判して伊豆や佐渡に流される。晩年身延山に隠棲し、弘安五年(1282)10月13日六老僧に後事を記してなくなる。(61歳)

しきたり
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喪主
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ご葬儀後
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お墓
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ご仏壇
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